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No fate but what we make.

学び、パートナーシップ、生き方、働き方

自由に未来を描く学生時代と、怒涛の厳しさの社会人生活。その後得たことを赤裸々に自己紹介

絶賛ニート中のやっちです。

本日は今更ながら、自己紹介をしたいと思います。

長文になりますが、読んでいただけたら嬉しいです。

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■目次

・小学生。大ヒットした休み時間の自由帳

中学生。ヤンチャな友人に巻き込まれる

成績が開花した高校生。恋も開花した高校生。そして、母の死

・大学は生涯の親友を見つける場所

そして、社会人に

色々やってみて思うこと

 

小学生。大ヒットした休み時間の自由帳

世田谷生まれ、すぐに台湾に飛び立ち3年ほど。

その後は海老名で育ちました。兄が1人います。

僕は小さい頃から順風満帆な幸せな家庭で育ち、

それなりに欲しいものは買ってもらい、

週末はいつもどこかに旅行、

朝はロイヤルホスト、昼はレストラン、夜は居酒屋なんて日も。

おいしいものをたくさん食べたせいかグルメになってしまい、

味にうるさい人間になってしまったと、父がよく話しています。

 

小学校の頃はとにかくわんぱくで、

人のことを信じて疑わず、いつもニコニコキラキラ。

世界が楽しくて仕方なくて、知らない子でもおにーさんでもおじさんでも、

誰とでも仲良く遊んでおりました。

知らないおじさんの車に乗り、河原に遊びに行ったこともありますが、

今思えば恐ろしいことをしていたと思っております。

僕は色んな人にいじめられたし、逆にいじめてました。

両方の気持ちがわかるというのは貴重な経験でした。

教室内ではやっちオリジナルの自由帳というものがあり、

ファイナルファンタジー×ドラゴンクエスト×ドラゴンボールの良い部分を

かけ合わせた、RPGを同時に4人までプレイできるものをやっており、

これがかなりヒットしておりました。笑

みんなが楽しめるようコンテンツを用意してくるのが楽しくて仕方なくて、

(キャラ設定、モンスター、ダンジョンの迷路など)

夜遅くまでそれをやっていたのを覚えています。

 

外ではサッカー、ドッジボール、バスケ、けいどろ、鬼ごっこ、流行っていたものは何でもやっていたように思います。

跳び箱と鉄棒の逆上がりがどうしてもできなくて、

何度も何度も挑戦し、どうにかできるようになった時は感動しました。

いつも人より遅れてスタートしてしまうのですが、

なんだかんだと先にできた人よりできるようになってしまったりしてました。

スロースターターであることを自分の中でも認識し自信にしてました。

 

女の子と一緒にいるのがどうやら楽というか、話しやすい感じがしました。

最近知ったことですが、僕はどうやら女子脳のようで、

どうりで女子からの相談が多かったわけだと納得している所です。

ただ、楽しかったのは男子と遊んでいる時で、安心する時が女子という感じです。

 

すごくヤキモチ焼きで、裏切られるとものすごく落胆していました。

よく泣く子でした。やけに疑われることもありました。

素直を通り越して素直なので、逆に疑われてしまうというか・・・

今でもそんなことが多々あります。勘違いされやすい性格です。

 

なんといってもスラムダンク世代なので、

小学校の後半はバスケに明け暮れておりました。

サッカー小僧はどこへやら。バスケの切り替えは早かったです。

バスケは僕に「夢中」をプレゼントしてくれました。

来る日も来る日もバスケ、バスケ、バスケ。

放課後はすぐに帰ってボールを持って学校に戻る。

ひたすらドリブルとシュート。家ではNBAのプレイを見て、

スラムダンクを見て、動きを研究してました。

 

小学校にはミニバスケットボールクラブというものがあり、

僕は土曜になると小学校の体育館を見て、

「楽しそうだなぁ」と見ておりました。

バスケ好きな子がたくさん集まって練習をしている。

でも、自分なんかじゃあんなすごい人たちの中じゃやれないよな、と、

遠くで見ているしかありませんでした。

 

ある日、いつものように放課後にバスケをしていると、

そのクラブの人が何人かいて、一緒にやらないかと誘われました。

僕は嬉しくて仕方なくて、スラムダンクに出てくる沢北というプレイヤーの

幼少期に見せた笑顔と自分を重ねました。

 

そこで驚いたことに、自分は意外とやれてしまうということ。

シュートは打てば入るし、ドリブルも粗削りながら相手を抜き去り、

1on1で負ける気がしなかったんです。

 

「お前強いな!!ミニバス入れよ!!」

 

そんな声が出ました。この時の自分は意外ときょとんとしていて、

なんだか納得がいかなくて、ミニバスのほぼ全員と1on1をしてみるという、

なんとも道場破り的なことをし出したのです。

 

そうしてみると、10人中1人を除いて勝ててしまった。

ただ、負けたことが良かった。

1人はディフェンスのスペシャリスト。どうしても抜けなかったんです。

どうしたら抜けるようになるか?

僕は、独学では限界があることをこの時悟ったんです。

 

かなり遅くなりましたが、小学校5年でミニバスをやることを決意、

入って半年ほどでレギュラーを獲得することができました。

実力的には申し分なかったと思います。

ただ、自分には思わぬ弱点があることに気付くんです。

それは、

優しすぎること

自分に自信がないこと

優しすぎるというのは、相手にいつも気を使ってしまい、

事あるごとに相手のことを気にしてしまうこと。

 

身体がぶつかると痛いのでなるべくソフトに。

相手がゼーハーいっている時はスピードを緩めてあげたり。

シュートを連続で決めすぎて相手が怒られるのが嫌で打たなくなったり。

 

今思えばスポーツ選手として最低です。

こんなことは優しさではなく相手への侮辱と今は思います。

 

自分に自信がないこと。

これも決定的な弱点で、相手が常に自分の上に見える。

普通にやれば勝てる相手でも、委縮してしまうことで負けてしまう。

精神的な弱さが大きく出ました。

特に均衡した実力を持った相手とは、精神の勝負になります。

今思えば、そのような相手にはチームで勝てても自分は負けていたと思います。

チームが勝てれば良しとしておりました。それも正解ではありますが。

 

中学生。ヤンチャな友人に巻き込まれる

中学生になると、相変わらずのバスケ三昧。

そして廊下で暴れてふざけて、先生に怒られるの繰り返しです。

思春期は色々あるもので、友人のケンカのいざこざに巻き込まれたり、

トイレでタバコを吸う友人と一緒にいたら自分も疑われたり、

トイレのドアを壊してしまい、先生と一緒に修理、その後も学校の様々な手伝いを

させられたり。

恋もしました。告白したし、告白されました。

この時、人前で話すのが億劫でなかった自分は、ある一人の人間によって

封じ込められ、人前で話すとなぜか恥ずかしくなり赤面するという、

そんなことがありました。

というのも、その人間は僕が何か発言したり行動したりする度に

何かとイチャモンをつけてきて、いつしかその人間を気にした言動を

するようになったからです。

「間違えてないか?正しいか?」

そんな考えばかりに固執するようになり、黙ってしまうと赤面したり

するようになったんです。不思議なものです。

 

塾に通い、勉強するのが楽しいと思えるようになったこともこの頃です。

特に英語が楽しくて、とにかく基礎をしっかりやって、相変わらず他の人よりスピードは遅かったんですが、メキメキと育ち、テストでは高得点を獲得してました。

同時に、人に教えることも楽しいと思えました。数学が苦手な人がおり、基礎からしっかりと教えてあげることでテストの点数がアップしたんです。

これは本当に嬉しかったですね。最低クラスの志望校だけでなく、もっと上を目指さないかと促しましたが、そこは安全なほうに行ってしまいましたが。

 

また、友人がボコボコにされるという経験もしました。

コンビニで相手と方がぶつかり、裏に連れていかれてしまったのです。

大学生ぐらいの人でしょうか。彼女連れでした。

タバコを押し付けられ、振り回され・・・

最初は笑っていた彼女も見るに見かねて「やめなよそろそろ!」と言い出す始末。

買ったばかりの白いセーターが血に染まり、そのおぞましい光景には足が震え、

声が出ず、テレビの中の世界だけかと思ったことは、現実であったと思い知りました。

僕は止めに入るも突き飛ばされ、自分の力ではどうしようもないと思い、

近くの塾の先生に助けを求めました。

呼びに行き連れて行った時には時すでに遅く、加害者はいなくなってました。

その後は警察の事情聴取。翌日、学校を休んだ友人に代わり僕が先生にいきさつの説明をしました。この時感じたことは、自分の力でどうしようもないことは、すぐに助けてもらうこと。その瞬時の判断が必要であると思っております。

 

成績が開花した高校生。恋も開花した高校生。

そして、母の死

 

高校でもバスケを続けました。

高校では基礎をみっちりやらされたせいか、

自由なバスケができなくなり、自分がどんどん弱くなるのを感じました。

ここでも感じるのは、僕は縛られると途端に弱くなること。社会人になって気付いたことです。命令通りやると結果は出ないけど、任されると勝手に仕事取ってくる。そんなスタイルです。

それでも、基礎をきっちりやって「走るバスケ」に切り替えたことは

大きな学びでした。

そんな中、大きな出来事がありました。

 

高校1年の夏、母がガンで亡くなりました。

 

お医者さんから告知があった時は涙が枯れるほど泣きました。

そして、いよいよ亡くなった時は不思議と涙が出ませんでした。

しかし、葬式である友人の一言で、またドッと涙が押し寄せました。

「まぁ、飲もうよ。」

高校生で、友人の葬式の最初の一言でこれが言える高校生はその友人しかいないと

今は思ってます。笑 

「自分は支えられてるなぁ」と感じ、涙が溢れてしまいました。

その次の日も普通に部活に出てバスケをしてました。キャプテン、先生には話しました。

今思えば、バスケがなかったら自分はどれだけ抱え込み落胆していたかわかりません。

バスケに感謝しています。

小学生の頃から父が単身赴任で、ほぼ兄と二人暮らしだった僕は、

いよいよ頑張らないとと心が動いた時でした。

「これからも二人で頑張ろう。今まで以上に。」兄と二人で支え合いました。

 

高校ではなんと言っても恋をたくさんしました。

告白は5回中3回成功で、まずまずの確率と思っています。

1年の時付き合った人、2年で付き合った人、3年で付き合った人、

それぞれで彼女ができました。高校生ってなるべくして始まり、なるべくして終わるんですよね。客観的に見てみると、いやそりゃ終わるよって思う所がたくさんあって、

若さゆえと微笑ましくなります。

 

そして勉強が実を結んだ時期でもありました。

後ろから数えたほうが早かった成績はどんどん成長し、350位ぐらい?のうち、中の下ぐらいだった成績は、6位までいきました。

これが高校2年の時です。

 

何をしたかというと、1年の時出会った友人が上位に食い込み、悔しかったんです。笑

がむしゃらに勉強をしたことを覚えています。

そして気付きました。勉強は、自分のパターンを知れば勝ち。

これに気付かないうちは、なんとなくよさげな参考書に操られ、勉強した気になり、成績はまずまずといった感じになります。

自分のパターンをひたすら分析するんです。

 

どれぐらい集中力が続くのか?

マーカーを引くのが覚える?折り目をつける?ノートに書く?

参考書を使う?使わない?遊びの頻度は?睡眠時間は?食事は?

授業の受け方は?勉強する場所は?

 

その後彼女ができ遊んでいたら成績は下がったのですが、

勉強の仕方さえ抑えておけば時間を割かなくてもある程度いけるとわかったのも大きかったです。そんな方法論を見出すことにも楽しみを覚えたのもこの頃でした。

 

 

 

大学は生涯の親友を見つける場所

 

大学へ。

妻夫木聡が主演だったオレンジデイズのイメージを持って入った人が多いと聞いてましたが、まさに僕もその一人でした。全然違いました。笑

 

ひたすら遊び、遊びの日々。

相変わらず、最低ラインを抑える勉強法をしていましたので、

留年には至りませんでした。

大学は将来を見つめる場所、学びを研究する場所、、、

色んな場所であると思います。

僕にとっては、生涯つきあえる仲間を見つける場所。

そんな風に思います。

 

この頃、大学生をターゲットにした詐欺が非常に流行っていました。

巷で有名なものにはハマらなかったものの、

僕は僕で詐欺に合ってしまったんです。

 

英会話教材とIT教材。

この頃、この2つは必ずくると必須項目として有名でした。

奨学金で大学に来たくらいで、お金はまったくなかったのですが、

まんまと騙されローンで購入してしまったんです。その額150万。

 

客観的に見るとどうしてそんな・・・

って思うんですが、詐欺に合った方はわかると思うんですが、

こういう時の自分ってすごくピュアに話を聞いて、「自分だけ特別」な感じを受けるんですよね。戦略なんですが。

 

そして、まるでドラマのような、借金を返すためだけに働く大学生生活がスタートすることになるんです。

僕は今の活動の原点がこの時の自分であることを強く再認識しています。

他の人には絶対に楽しい大学生活を送ってほしいし、社会人になっても、こんな悲劇は起こってはならないと思います。

 

大学生は色んな場所に行くお金を使うべき。

新しい世界の体験にお金を。

応援したい人にお金を。

自分でやってみたいこと、勉強したいことにお金を。そんな風に思います。

 

あるビジネスのために、自分のせっせと働いたお金を捧げる。奴隷です。

ストレスが溜まりすぎて、若くして髪も抜けました。この時、母親がいない自分を初めて、「かわいそう」と思ったこともありました。

精神的に追い詰められていたのかもしれません。

 

そんな状況でも精神的支えになってくれたのが友人でした。

生涯付き合える仲間というのは、ある日気付きます。創ろうと思ってできるものではないんです。

辛いときに側にいてくれる。側にいてくれるだけでよかったんです。安心しました。

 

大学生の後半。就職に向けて周りが動き出す頃でした。

大学は就職ガイダンスなどを始め、親もそんな話ばかり。友人は就活どう?という会話ばかり。僕はこの時、就職をする意味がわからなかったので、mixiを使って色んな人に会いに行き、生き方や働き方の情報を集めることにしたんです。

 

8割の人が詐欺かビジネス勧誘。

これはすごかったですね。こんなにも世の中には人を騙そうとする人がいるのかと、世界を疑いました。

でも、少しでもまともな人がいたんです。

ある人の言葉で、就活に動くことになります。

ベトナム投資で起業した方で、著者も出している方でした。

「君はまず、社会を知りなさい。社会を知ることで色んなことが見えてくる。何を焦っているんだい?俺なんて、自分のやりたいこと、好きなことを最近知った。もうすぐ50だ。迷ってる時間があるなら、まず社会を知りなさい。それからでも遅くない。」

 

おぼろげながらそんな記憶があります。

その言葉で僕はなんだか腑に落ちて、会社で働きたい欲が出ました。

社会を知るために会社に入る。

立派な理由じゃないか。

 

 

 

そして、社会人に

1社目は住宅メーカーに入りました。

特にやりたいことはなかったので、色んな人と話せる営業。そして難しい営業のトップクラスであろう、住宅や不動産にしました。

全会社中最悪で卑劣で凄まじく人をコケにした会社でした。倒産しました。

その時の様子は別途ブログに書いてますが、ここでは省きます。

 

社会のおぞましい光景にびびった僕は、

安定を求めるようになりました。

OA機器レンタルの営業サポートで、IT推進課という部署に入りました。PC、プリンター、サーバーなどを繋ぎ、快適に仕事ができる環境づくりをしてました。早めに退社できて仕事も順調、給料も決して高くないものの、ボーナスが年に3回出ることは安定に繋がりました。

 

安心の社会人生活を送っていた僕ですが、

ある日気付きます。「物足りない。」

それでも、辞めるほどのことではなくしばらく続けていました。

ある日、転機が訪れます。

最初の会社で唯一の尊敬していた先輩から、会社の誘いを受けたんです。

新しい事業部を立ち上げるにあたり、営業がほしいと言われました。

 

過酷な生活になることはわかっていたのでしばらく悩みましたが、とにかく面白そうでしたので一緒にやることになりました。

実際、事業部を一緒に盛り上げていくことは楽しかったですし、何より先輩(この時は上司)から学べることが非常に多く、貴重な時間となりました。ゼロから何かをつくるということの楽しみを覚えたのはこの頃です。

しかし、以前から思っていた自分の店を持ちたいという思いが自信をつけたことで湧き上がってきて、挑戦したくなりました。

 

飲食店を少し経験。

ここでは何かを学ぶ前に体を壊し、そのまま退職となりました。とても恥ずかしい話です。

出戻りするわけにもいかないので、また少し考えようと思った矢先、今度は別の方から木製のオーダメイド家具屋の営業のお話をいただきました。

 

ここはゼロから自由にやらせてくれる環境で、

とても楽でした。基本給は低いものの、歩合率が高いので完全に自分次第。

会社のルールもアバウトなので、会社の決定に対して自分でしっかりと意見を言ったり、同意書などの契約を断ったりしなくてはいけませんでした。個人、法人問わず、飲食店を中心に仕事を回しました。

 

ここは一番続きました。

売上は右肩上がりのものの、会社の体制が不安定でしたのでずっとはいられないなと思いつつも、楽なのでつい長くいてしまったように思います。

 

そんな中、今度は元々の友人が起業した会社へのお誘いを受けます。営業部立ち上げの依頼を受けたんです。食コンテンツの企画と制作をやっている会社でした。

元々知っている会社ということもあり、何よりその友人を尊敬しておりましたので、半年ほどお互いに話し合った末に入社を決めました。

結果はまんまと失敗。初めての業界で自分がゼロから事業部を作る難しさを痛感することになりました。やるだけやって、ダメなら仕方ないという合意のもとで納得の上で決定していたため、辞める時もスパッといきました。

 

 

 

色々やって思うこと

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以上、6社を経験しました。

自分が大学生の時に興味のあった分野はすべてやってみました。

社会ってなんだろう?

この疑問は、見事に払拭され、理解しました。

 

色々やってみて思うことは、

まず「良い会社」と言われるものは存在しなく、自分にとって良い悪いがあるだけということ。つまり、環境を作るのは自分次第ということです。例えば僕が勤めたオーダメイド家具屋の環境はひどいものでしたが、裏を返せば自分で創ることができるし、厳密なルールがないので自由に動ける。僕にとっては結果、良かったんです。

 

そして社会は上から降ってきたものを

みんなで群がり奪い合い、末端の会社ほど誤魔化しを背負うことになる。

大手、中小、零細、ベンチャーを経験して思うのは、そういう所です。

株主のため、利権のため、名誉のために無理をしてやり続けるしかない。

 

何を成し遂げたくて、何をしているのか?

1日1日の仕事は、何に繋がっているのか?

仕事は何のためにしているのか?

夢?家族?自分の信念?

 

多くの人は仕事ありきで

家族の時間、友人の時間、趣味の時間などを

考えます。

 

仕事をいいわけに、多くの人が大切な時間を失くしています。

 

根本的には社会という場所は、繋がりだったり助け合いだったり、いわゆる共有支えありきの集合体だったと思うんです。

社会は厳しいところ。

社会で生き延びるには、、

社会は甘くない。

なぜこんな言葉が飛び交うようになってしまったのか?それは、サイクルを止められない社会の仕組みのせいと思っています。

大量生産時代のサイクルを今だに繰り返す。

ネットがある。情報が飛び交う。全員がクリエイターである。人口は下がる。

とてもわかりやすく今までの常識は通じないというハッキリした指標があるのに、やり方を変えない。結果、社員が疲弊する。

社長や経営幹部は別のビジネスモデルを考えるのがめんどくさいので、社員のせいにする。

そんな風に思いました。もちろん、たくさんのそうではない会社を知っています。

僕は目の当たりにした現実を並べているだけです。

 

そして今、僕はニートになりました。

たくさんの繋がりができ、おかげさまでお金はないものの楽しく暮らしています。

結婚した妻が今後のお金の心配をしているので、早く収入を増やさないとと思っています。

子供のことも考えると、ただ生活するだけでなく余裕がないとやっていけません。

 

趣味でやっていたイベント。

思えば僕は小学生の頃からイベントをつくっていました。みんなを集めて何かをするのが好き。ここは揺るぎないところです。

現在はPDCA会という勉強会を始めました。

マーケティングを中心にお届けしています。

https://m.facebook.com/PDCA会-280575692374971/

 

そして、結婚して気付いた大切なこと。

家族の繋がりやパートナーシップの重要性。ここを伝えたくて、純愛伝道師やっちとして活動もしています。目の前の大切な人は、いつまでもいるわけではありません。当たり前ではないことを認識し、毎日の幸せを噛み締めてほしいです。

 

これらは昔から直結している、気付いたら身体が動いている、いわゆるやりたいこと。

また会社に入るにしても、フリーランスで動くにしても、起業するにしても、確実に続けていく2つの柱です。

 

僕はどんなことでも、相談に乗れる人間になりたい。仕事、将来のこと、ビジネス、人間関係、恋愛、お金、色んなことで悩んできました。自分が多くの人の悩みを受け取れる自分になれたらどんなに幸せか。

僕はどれだけの人に支えられてきたかわかりません。それこそ、社会に還元する時がきたと思っています。

 

読んでいただきありがとうございました。