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No fate but what we make.

学び、パートナーシップ、生き方、働き方

え?わたしに言ってるの?という質問が生まれたのはケータイが普及してからだ

100年時代のパートナーの在り方研究者、やっちです。

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今日はコミュニケーションの変化の背景にはケータイがいた!という話です。

もちろん前提として、良い悪いではなく、便利さと失うものは表裏一体だよねという、単純明快な話です(^^)

 

人が何に影響されてその言動をしているのかに昔から興味があった僕は、ケータイが普及しだした頃の、人のコミュニケーションの変化に驚愕していました。

それを代表する質問がこれです。

 

え?わたしに言ってるの?

 

32歳の僕は、小学生の頃はケータイは持っていなく、中学生から使いだしました。

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そして、大人が当たり前のようにケータイを使いだした頃、グループの会話に変化が生じたことに気付いたんです。

 

というのも、それ以前は誰かが発言したことに対して、別に誰が答えてもよいという暗黙のルールがありました。
というより誰かが必ず答えていました。
それが当たり前のコミュニケーションだったからです。

 

例えばある学校の4人グループ。

Aくん「Bくん、おはよー」
Bくん「Aくん、おはよー」
Cくん「Aくん、Bくん、やっと来たか!」
Dくん「オレが一番乗りだったぜ!」
Aくん「Cくん、Dくん、いつも来るの早いよね!」
Bくん「この2人は早くサッカーしたくてしょうがないから。」
Cくん「まぁな!」
Dくん「サッカーしないとはじまらないっしょ!」
Aくん「ところで今日の音楽の授業、リコーダーいるっけ?」
Bくん「・・・」
Cくん「・・・」
Dくん「ん?誰に言ってるの?」

 

この現象です!!!!

 

なぜ、こういう現象が起きるか。
その大きな理由の背景として、ダイレクトに相手につながる魔法の道具、ケータイが普及したことにあると考えています。

 

ケータイがなかった以前は、一家に1台、電話機が置いてあることがフツーでした。

そして基本的には鳴った電話には親が出て、
「Bくーん。Aくんから電話よー」
「はーい。今行くー」
という取次ぎがありました。

 

この取次ぎのおかげで、親と子、子の友達の3者コミュニケーションは当り前に行われていました。このコミュニケーションが奪われた結果は、昨今の社会情勢を見ての通りです。

 

プルル、プルル、ガチャ
「あ、もしもし?Bくんやっほー」
「おー、Aくんどうした?」

 

今や当たり前の、ダイレクトに繋がるコミュニケーションしか知らない世代にとって、ダイレクトに繋がっていなかった世代のコミュニケーションが合わずにギクシャクするのは当り前のことです。

 

今もなお、「え?わたしに言ってるの?」現象が繰り返されるのは、この、ダイレクトが当たり前なことにあると思っています。

 

今はどこもかしこも、スマホだらけです。
このスマホが与えた影響は、ケータイが普及しだした頃の影響とはまた違って、「集中力の散漫さ」を生み出してます。だからこそ禅やマインドフルネスなどの頭や心を整える時間が注目されるわけです。

脳科学などの本にもよく、マルチタスク(あらゆることを同時にこなす)は脳機能を破壊すると書かれてますが、集中できない脳をさらに加速させて作り上げてますね。


昨今のバーチャル世界のリアルさにハマりすぎて、現実世界もゲームみたいになっている人を見ますが、それも影響によるコミュニケーションの在り方の変化です。


いわゆる世間で言う「おかしな行動」と言われていることは、「その方法しか知らない」からやっているコミュニケ―ションです。

 

人と会話している時や同じ空間にいるときに、
意識が散漫になるのもスマホが気になってしょうがないからでしょう。
別のこと考えながら会話している人はすぐにわかります。


言葉に出さなくても「あなたに興味ありません」というコミュニケーションはできます。

 

かくいう僕も、スマホの恐ろしい力に吸い込まれ、気付けばスマホが手の中にある。

あー、怖い。
別にそれ自体が悪いわけではなく、対面する人に集中できているかどうか、その影響を疑っているわけです。

 

そんなわけで、ケータイとコミュニケーションの在り方の関係性についての議論を終了いたします。ご清聴ありがとうございました。